寿久三行や馬上尓氷る影本うし
尾張藩を追われた愛弟子、杜国を訪れて貞享4年厳冬、潮風のふきさらしを保美に向う芭蕉は、天津畷(豊橋市杉山町天津地内)のあたりでこう詠んだのでした。 「すくみ行く馬上に氷る影法師」 寒風に身のすくむ思いで馬上の自分の姿は氷りついた影法師のようであるというのです。一般には初五「冬の日や」となった句として知られています。この碑は天明2年10月12日(1782年)芭蕉没後88年の忌日に田原の俳人たちが芭蕉を偲んでここに建てたもので、蕉門の杉山杉風の採茶庵を復興した田原藩士平山留蔵(俳名梅人)が建立の中心人物であったという記録が残っています。尚、当時梅人から施入された芭蕉像一幅と芭蕉自筆の句帖切も当寺に現存しています。 龍泉寺
芭蕉句碑 龍泉寺 新町 田原町 田原市 愛知県