先生はその著作、慎機論において外国船打払いの無法を論じ、幕府より国政批判の罪を受け在所田原藩に蟄居を命ぜられた。この地は先生が天保11年2月16日より同12年10月11日まで、一家と共に住居され、日々論語、易経を読み、絵筆を運び、畑を耕し、罪の身に憂国の情禁じ得なかった所である。先生没後1年にして幕府は外国船打払令をゆるめ、10余年後には遂に米、英、露、蘭、仏の五ヶ国に開港、和親条約を結ぶに至った。即ち先覚者と仰がれる所以である。昭和30年5月邸宅復元と銅像の建立を行う。 田原市指定文化財・史跡 平成4年6月指定 田原市教育委員会
渡辺崋山幽居跡 中小路 田原町 田原市 愛知県