洗濯場 神島 鳥羽市 三重県

神島では生活用水の確保が島民の切実な願いの一つでありました。昭和五十四年に答志島から神島間の海底送水管敷設工事が完成しました。以前は貴重な水を大切に使うため、洗濯は島の中央部を流れる表流水を利用していました。 小説のなかでは、昔の洗濯場の様子が生活感豊かに描写されており、海女たちの情報交換(井戸端会議)の場所となっています。 小説『潮騒』の取材で、神島を訪れた三島由紀夫が1ケ月程滞在し、当時の組合長だった寺田さん宅が階段の左手に見えます。
「村の本道のコンクリートの段々を、奥さんは白いサンダルで軽い音を立てて下りた。賑やかな笑い声がし、濡れたものをはたく弾みのよい音がきこえて来た。見ると道ぞいの小川のほとりで、六七人の簡単服の女たちが洗濯をしているのである。旧盆のあとはたまさかの荒布採りに出るくらいで、閑になった海女たちは、そうして溜まった汚れものの洗濯に精を出し、なかには新治の母親の顔も見えた。誰もほとんどシヤボンを使わず、平たい石の上に布を伸べて両足で踏んでいた。」   新潮文庫 『潮騒』 P165より引用