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少女は二三歩退いた。出口はなかった。コンクリートの煤けた壁が少女の背中にさわった。「初江!」と若者が叫んだ。「その火を飛び越して来い。その火を飛び越してきたら」 少女は息せいてはいるが、清らかな弾んだ声で言った。裸の若者は躊躇しなかった。爪先に弾みをつけて、彼の炎に映えた体は、火の中へまっしぐらに飛び込んだ。次ぎの刹那にその体は少女のすぐ前にあった。彼の胸は乳房に軽く触れた。『この弾力だ。前に赤いセエタアの下に俺が想像したのはこの弾力だ』と若者は感動して思った。二人は抱き合った。少女が先に柔らかく倒れた。「松葉が痛うて」 新潮文庫 『潮騒』P74、75 より引用 |