敦賀城跡・真願寺 結城町 敦賀市 福井県
大谷吉継 敦賀城跡碑
大谷吉継(吉隆ともいう)は、豊臣秀吉に仕え、天正13年(1585)刑部少輔となり、敦賀5万石の城主となって、街や港の整備発展を計った。慶長5年(1600)9月豊臣家のため徳川家康と関ケ原に戦ったが敗れて42歳で自刃した。世の人々は「吉継は衆を愛し、知勇を兼ねた正義の賢人であった。」と讃えた。(名将言行録)吉継の拠った敦賀城は、結城、三島の両地にわたり、重層の天守閣を持っていたと伝えられているが、元和2年(1616)一国一城の定めで取り壊されたが、当寺にその礎石が残っており、その跡を偲ぶため、城内西北のこの地に本県出身の文学博士平泉澄先生の題字によって碑を建立した。