人これを呼んで深坂地蔵又は堀止地蔵と云う。これは越前の国守である平重盛が琵琶湖と日本海を結ぶ運河を計画し深坂峠から塩津へ流れる大川と敦賀で日本海に注ぐ笙川を利用しようとしたが当時その試験堀を現在の深坂地蔵境内で行ったが大きな石が現れ掘り進む事ができず石工の職人が金矢にて打ち砕くべく穴をあけたところ、突然腹痛にかかり不思議に思った役人が作業を中止してこの石を掘起したところ思いの外御地蔵様の御姿であった。それ以来この地に治まり広く万民の不幸や災難を御守り下され、特に子供の願い事は必ず聞き入れて下さる有難い御地蔵様で御座います。其れ以来堀始め地蔵変じて堀止地蔵とも言伝えます。
 深坂地蔵 沓掛 西浅井町 長浜市 滋賀県