狩野城址・狩野介茂光公堡塁之跡 本柿木 伊豆市 静岡県
この狩野城址は平安朝の末、狩野氏の祖狩野維景によって築かれた出城の跡である。標高180mの域内に鎌倉時代に発達した二重掘を備えて本郭・西郭・南郭・中郭・東郭出丸に区分されている。狩野維景は始め駿河守に任ぜられ狩野荘日向の掘之内に来任したが後要害の地を選んでこの地に移った。維景より五代の孫茂光はその子親光と共に源頼朝に仕え、治承4年(1180)石橋山の合戦に敗北自刃し、又大庭景親により狩野城も同年落城した。その後狩野氏の子孫再起を期してこの城を守護したが延徳3年(1491)北条早雲伊豆挙兵の折、城主狩野道一攻略され再び落城の運命となる。狩野氏150年間の出城であり、落城の際に関する哀史伝説はこの郷土に伝えられ、又この地を中世山城の史跡として保存するものである。  昭和58年2月28日  天城さ湯野ヶ島町教育委員会