軽野神社 松ヶ瀬 伊豆市 静岡県
狩野介の棟札
延喜式内社である軽野神社に残されている最古の棟札である。天文21年(1552)当時、伊豆の国は後北条氏の支配下にあった。永禄2年(1559)の北条役高帳松山衆の項に狩野氏二名の名があり、松ケ瀬と小立野、日向を領していたことが記録されている。 この棟札の一行目に「狩野介」と記されているが、これは当神社南方の丘陵地に平安時代後期より本拠を構えてこの地を治めていた豪族、狩野氏に与えられていた称号である。「介」の称号は、当時全国で八家しか与えられていなかったものであり、その点でこの棟札は、狩野氏の勢力の強大さを物語る責重な資料でもある。 平成元年五月九日指定 伊豆市教育委員会
鎮座地 天城湯ケ島町松ケ瀬七九      御祭神 事代主命    例祭日 十月十九日
    由  緒
当社は延喜7年(907)の延喜式神名惟に軽野明神。伊豆国神階帳(1330頃)正四位狩野明神とあり、応神天皇5年(275)伊豆国に造船を科した際の造船所跡とも、船材を樹る山口祭斎行の場所とも云われる。 この神社は又笠離明神・笠卸明神等とも称され古代この前を通る人々は神威を恐れて笠を卸し敬意を表したためと云ふ。延喜式神名帳所載伊豆国田方郡二十四座の一社で、明治6年二十ケ村の郷社に列せられた。