修善寺 修善寺 伊豆市 静岡県
修善寺縁起
この寺の歴史は宗派的に、真言、臨済、曹洞の三つの区分にすることができます。
 創立は大同2年(807)で弘法大師とその弟子によって開かれた真言宗の寺で、当時はこの地一帯に密教形式の堂宇が建ち並び、東国真言宗の拠点ともなった模様です。この時代の末期とも言うべき元久元年(1204)源頼家がこの地で殺害されています。本尊の大日如来像(重文)は、その母北条政子が頼家公の菩提のため、7回忌に当たる承元4年(1210)に実慶に造らせたことが、解体修理の結果わかりました。
 その後、寛元4年(1246)宋から渡来した蘭渓道隆禅師(鎌倉建長寺開山)が一時止住されたのが縁で宋の皇帝から勅額が下がるほど修善寺の名が中国に広がり、約240年ほど臨済宗として栄えました。
 次は今の曹洞宗でありますが、いつの時代でも栄枯盛衰はつきもの、北条早雲が韮山城主になるや、戦禍によって見る影もないほどに荒廃したこの寺の再興のため、自分の叔父に当る隆渓繁紹禅師を住職として招き、広大な土地を寺領として寄進されたので復興することができました。禅師が入山されたのが延徳元年(1489)ですから既に五百年を過ぎて今日に至っています。