八幡神社 修善寺 伊豆市 静岡県
当社は、旧修善寺村の氏神として古来より厚く尊崇されている神社で、相殿は鎌倉二代将軍源頼家公である。当所はここより200m東側の月見ヶ丘に在り、二体の古像が祀られた旧祠であったが、後に当所へ社殿を建立し、頼家公束帯(正装)の立像を作り、神を引いて頼家公の廟(みたまや)とし、八幡と祢した。社殿は現在も両扉となっており旧規を残している。右側の本社には、頼家公の母北條政子悪病平癒の伝説をもつ「孔門石」又は「玉門石」と呼ばれる陰石が祀られている。
昔修善寺の総門が当地横瀬の大門(字名)これより2〜300m下がった附近にあった時代に、仁王像があったが、総門がこわれてしまった時(徳川時代)当社に移され、さらにある老婆の夢枕にこの仁王像が現われて、修善寺に帰りたいと云うので、頼家公にゆかりのある指月殿に納めたという。この指月殿は、政子が非業の最後を遂げた、我が子の冥福を析って建立したものである。祭礼日は毎年十月十九日となっているが、最近は近くの日曜日に行なわれる。又昭和五十年迄は三番曳が奉納されていたが、現在は後継者が少く、行われていない。