横瀬愛童将軍地蔵 修善寺 伊豆市 静岡県
鬼よりも尚残酷たり鎌倉執権時代に孫の頼家将軍を伊豆修善寺の山の家に出家となして押し込めたり。子煩悩なる頼家卿、鎌倉表に残したる受児のことを夢に見つゝ里の童を集めては、いたわりかしづき、たまいける。童も卿に慕いつつ、横瀬の山に御供し、狩野の流れに浮かぶ月を眺めて憂さを晴らしている頃は元久元年の時しも七月中八日すだく虫の音はたと止む、すわ鎌倉の討手ぞと思う間もなく頼家卿裸身のままにくくられて、二十三才一期となし無惨の最後を遂げ給う。以下略
ここより200m下った狩野川沿いに月見ケ丘と呼ばれる丘がある。この丘は、建仁2年(1203)に鎌倉幕府二代将軍源頼家公が、北條氏の政略により修善寺に幽閉されていた時、幽棲の寂しさを慰める為いつもここで月を眺めては鎌倉を偲び、この里子達と遊んでは我が子を思ったという。丘の上のわずかな平地は、八幡神祠と保倉神の小さな石の祠が今に残っている。また丘の中腹には非業の最後を遂げた頼家公の冥福を祈り、里人による愛童将軍地蔵と名付けられた笠冠地蔵が建立されていたが、昭和36年の道路拡巾工事により月見ケ丘が削られて修善寺橋際に移転された。地蔵尊の縁日は8月24日で、この日は地元老人クラブにより祭礼が催され、参拝者には、家内安全のお礼と手づくりのだんごが渡される。又近くの広場では子供角力大会や盆踊り大会も開催される。