伝堀越御所跡 寺家 伊豆の国市 静岡県
伝堀越御所跡は「堀越公方」と呼ばれた足利政知の御所があったと伝えられる場所です。室町時代の後半、大名の勢力争いが激化し、日本各地で戦乱が起こっていました。とくに関東地方は京都にある室町幕府に従う勢力と対抗する勢力とが激しく争っていました。そこで、将軍の足利義政が、直接関東地方を支配するため、鎌倉公方として派遣したのが兄の足利正知です。しかし正知は戦乱のため関東(鎌倉)まで行くことができず、韮山の堀越の地に居館を作って身を落ちつけました。 これにより正知は「堀越公方」と呼ばれました。しかしこの御所も、その子「茶々丸」の時に北条早雲によって滅ぼされてしまいました。 発掘調査によって、池跡や鑓水、建物跡が見つかっていて都風な公方の生活を知ることができます。

国指定史跡  伝堀越御所跡
所在地 静岡県田方郡韮山町四日町及び寺家地区
指定年月日及び面積
 昭和59年10月8日指定     14,083.05平方メートル
 昭和62年9月8日追加指定   13,130.94平方メートル
 総指定面積             27,213.99平方メートル
指定理由
 20回に及ぶ発掘調査で発見された園池(庭園内の池)や、中国から輸入された高級な焼き物などから、鎌倉時代の北条氏の屋敷跡に、室町時代の堀越御所がつくられたことがわかりました。このことから、日本の中世(鎌倉・室町時代)の歴史を物語る重要な遺跡ということで、国の史跡に指定されました。

守山を中心とした中世遺跡
 伝堀越御所跡周辺には、史跡願成就院跡をはじめとして中世の寺院群や、御所之内遺跡(一部は北条氏邸跡として国指定)などの遺跡群が連なっています。この近くには、伝北条政子産湯の井戸、御所の庭にあったと伝える七つ石などが存在しています。

史跡公園に向けての構想
 町では、このような重要な史跡を皆さんに開放して、郷土の歴史を再発見し、歴史の町・韮山町に誇りをもっていただけるよう、史跡公園とする構想をたてています。
 現在、土地の買い上げを進めていますが、終了しだい発掘調査を実施し、その結果をもとに復元・整備をして史跡公園としていく予定
です。 
平成8年3月  韮山町・韮山町教育委員会