芭蕉翁が当所を訪れたのは貞享2年(1685)3月中旬、ついで同5年5月中旬滞在。元禄2年(1689)、奥の細道の旅の後12月に京都、大津に在り膳所で越年、いったん伊賀上野に帰り、3月中旬再び来訪、9月末まで滞在した。元禄4年(1691)春、無名庵の新庵落成。同年4月18日から5月5日まで京都嵯峨の落柿舎に滞在、「嵯峨日記」を草す。6月25日から9月28日まで無名庵に滞在。伊勢の俳人又玄(ゆうげん)の有名な句、「木曽殿と背中合わせの寒さかな」は、同年9月13日ごろ、又玄が無名庵に滞在中の翁を訪ね泊ったときの作。芭蕉翁は、元禄7年(1694)5月11日最後の旅に江戸を出発、伊賀上野に帰郷。閏5月18日膳所に入り、22日落柿舎へ。6月15日京都から当庵に帰り、7月5日京都の去来宅に移る。7月中旬から9月8日まで伊賀上野に帰郷。8日伊賀上野を立ち、9日夕、大坂に着く。10月12日午後4時ごろ、大坂の旅舎で亡くなられた。享年51歳。遺言に従って遺骸を義仲寺に葬るため、その夜、去来、其角、正秀ら門人10人、遺骸を守り、引船に乗せて淀川を上がり伏見にいたり、13日午後義仲寺に入る。14日葬儀、深夜ここに埋葬した。門人ら焼香者80人、会葬者300余人に及んだ。
 無名庵 義仲寺 馬場1丁目 大津市 滋賀県