又十屋敷・豊会館 豊郷町下枝 犬上郡 滋賀
当地は日吉神社文書に依る中世の枝村商人の発祥地である。文書による又三郎なる者、広く美濃紙元売の商人としてあり、記録ある又十家もその系統の商人として、江戸中期藤野喜兵衛喜昌は若くして北海道松前に渡り漁場を開き、廻船業者として活躍。苗字帯刀の近江商人としての誠実は信用を博しこの礎を築いた。天保7年(1836)の天変地異は、稀代の大凶作にて大飢饉が起こり餓死するにいたるものであった為に、二代藤野四郎兵衛良久は莫大なる金員を投じ窮民救済の一策として、当地の寺院「千樹寺」の建立と当家の大改築工事を行った。(中略)
現在は当時約20棟近くあった家、土蔵も長屋門文庫蔵本家だけになった。以下略    同館パンフレットより
廻船模型等 一里塚跡