妓王屋敷跡 中北 野洲市
妓王と妓女の姉妹は今から800年前に橘次郎時長の娘としてこの地に生まれましたが、保元の乱で父を亡くしたため母とともに京都に出て白拍子になり、平清盛公に仕えちょう愛を受けました。ある時、妓王は清盛公から「何か望むものはないか」と聞かれたので「故郷の人々が水不足で苦しんでおり、ぜひふるさとに水路を引いて下さい」とお願いしたところ、当時経済政策に力を入れていた点とも合致し、早速清盛は野洲川から水路を引かせました。このおかげで付近一帯(約三千反)の水不足は一気に解消し近江でも有数の米どころとなったのです。ときに妓王21歳、妓女19歳でありました。この水路は祇王井川と呼ばれ今なお水田をうるおしています。また敷地内の碑には、この妓王物語が刻みこまれており、近くには村人が感謝して妓王寺が建てられています。  平成4年3月  野洲市観光物産協会