刀根(とね)越え追分 余呉町柳ケ瀬 長浜市 滋賀県
「右 ゑちぜん かか のと道 左 つるが 三国 ふ称のりば」      明治16年(1883)1月
倉坂峠と玄蕃尾城
この道は倉坂峠(刀根越え)を経て敦賀市に出る古くからの歴史を秘めた道です。古代には大陸文化を携えた渡来人の越えた道であり、また千石時代末期には、織田信長軍に追いつめられた朝倉義景の大軍が壊滅した道でもあります。天正11年(1583)の賎ヶ岳合戦には柴田勝家が此の付近で陣を構えた古戦場で、峠より右に登ると内中尾山の山頂に達します。ここには余呉町と敦賀市の教育委員会が史蹟に指定している勝家の本陣「玄藩尾城」跡が当時の姿を今にとどめています。峠より左尾根を登ると標高659mの行市山頂に達し、ここには勇将佐久間盛政の砦跡が残っています。また、明治初年には明治天皇ご巡幸のためお通りになるなど、鉄道が開通するまでは、畿内と敦賀を結ぶ主要道でもあったのです。  余呉町教育委員会