史跡朝妻湊址 朝妻筑摩 米原市 滋賀県
朝妻湊は、いにしえより、湖上交通の要衝地として名高く奈良、平安時代から、江戸時代に至るまで、その重要な役割りを果してきた。奈良時代、筑摩付近に大膳職御厨(朝廷の台所)がおかれ、都へ北近江、美濃、飛騨、信濃国等から朝廷に献上品、税物、また木材、食糧等と合せて役人、商人などを運ぶための定期便が大津、坂本港へ出ていた。湊が栄えていったこのころ、筑摩の鍋冠祭が始まったとされ、その歴史が今に伝わつている。 この湊のことは、その後多くの謡曲、長唄にもうたわれ、江戸中期には英一蝶が「朝妻舟」を描いたことから、ますます有名になった。また、木曽義仲や織田信長の軍が都へ向って船出したのも、この湊からであった。この付近は、「朝妻千軒」といわれ、その実態は不明だが、家屋が千軒以上あったといわれ、この地、朝妻湊の発展ぶりがしのばれる。慶長18年(1612年)北村源十郎米原港(現JR米原駅付近)を開設。米原、松原、長浜港は、彦根三港といわれ栄えていく中、朝妻湊は廃止となり、その古い歴史を閉じた。また、明治18年(1886年)米原に鉄道が敷かれるにあたり米原港も廃止され、古くからの湖上交通も鉄道という陸上交通に引き継がれることとなった。