吉川本陣跡(長浜幼稚園) 朝日町 長浜市 滋賀県
長浜まちづくりの先覚者 吉川三左衛門 北国街道を往来する貨客は長浜港を経由して湖上交通に連絡し、古代から水陸の要衝の地でありました。豊臣秀吉公は天正初年(1574年頃)に長浜の湖辺に城を築き、港を整備し町並みをつくりました。この事業を指揮し、人心を統率する役割を果たした人が吉川三左衛門です。北国街道筋の往来で賑わった船町通りの吉川三左衛門家は、大名や門跡が宿泊した本陣で、伝馬が14頭常備されていました。秀吉公から三年寄筆頭の称号を受け常に長浜の町政を司り、江戸時代には彦根藩政下の長浜町政を委任されていましたので、彦根藩主井伊家もこの功績を称賛して「楠の石になるまで世を経りて名も長浜に高き吉川」と詠んだ扇面を贈っています。吉川三左衛門の名前は江戸時代末期まで13代に渉って世襲され、現在の長浜の基盤をつくりあげました。この幼稚園は、吉川三左衛門家の本陣跡です。