由緒、「市神ノ本紀」によれば推古天皇元年、聖徳太子四天王寺を造営し給ふ時、同郡白鹿山の東の麗において畿千万の瓦を造らせ難波津に運ばせたまふ。然るに太子かの山に渡らせられ新たに瓦屋寺を営し、且つ筏川の北に民家数百戸を置き事代主命の神像を刻し一祀壇に納め、同九年始めて市店を開き士農工商の別なく交易する事を教へ給ふ「其の後正暦の頃、安倍晴明白鹿山に詣で此の神像を拝し太子の遺志を継ぎ市店鎮護の祈りを奉り」云々とあり境円にりっぱな聖徳太子像がある。また万葉集最高の女流歌人、額田王立像をおまつりするのでその銘碑がある。さらこ、昭和60年4月29日には、万葉と風土の研究の第一人者、大阪大学名誉教授、犬養孝博士の筆になる額田王の歌碑が建った。
君待つとわが恋ひをれば わが屋外(やど)のすだれ動かし秋の風吹く。(巻4−488)
  市神神社 八日市本町 東近江市