左 ひの山王宮十丁 いセ道へ通りぬけ 右 いセみち 馬見岡神社二十丁 |
||
江戸時代の初期である延宝6年(1678)東海道土山宿より中仙道愛知川宿までの間に、脇街道として北国越安土街道が正式に現代でいう国道となり、それがいつの間にか御代参街道と呼ばれるようになった。この道が旧御代参街道である。その後、伊勢参宮が盛んになり、湖東地方の人々が伊勢参りに多くこの道を通り、文化9年(1812)に伊勢両宮へ奉納のこの大燈篭が建立されると、人々はこの分岐点の場所を伊勢道と呼び、それが通称地名となった。 日野観光協会・日野公民館 |