昔、伊庭は伊庭千軒と称し、今の伊庭、能登川、安楽寺、須田の四字を伊庭荘といい、元皇室の御領であったが、八百十数年前、崇徳上皇より源為義(為朝の父)に賜った事が保元物語に記されている。後、建久年間(約780年前)観音寺城主・佐々木行実の四男・高実が伊庭氏を名乗り代々この地に城を築き当地を領していた。元禄11年(1698)旗木・三枝氏が領主となり、ここに陣屋を構えていた。明治維新後、建物の一部を村役場とし明治12年八月この地に伊庭小学校を建て昭和23年小学校跡に新しく建てたのが現在の謹節館である。  滋賀県文化財総合調査員 

宗祇法師出自地   かげすずし 山に重なる軒の松  
伊庭城址 伊庭町 東近江市