徳川時代までは三丁縄手町と呼ばれており、わが国で古くから用いられてきた土地区画制度の条里制に関連して、田地のあぜ道を示す呼び名がもとになったものと考えられます。八幡城下の東入り口にあたり、縄手入口橋(音羽橋)のたもとには木戸(黒門)が設けられていました。
町並み 縄手町 近江八幡市