此の堀割は天正13年(西暦1585)豊臣秀次が八幡城を築城、それと同時に構築されたもので東は北之庄の沢より西は南津田長命寺湖岸近く外湖を結ぶ全長約5km。その全体を『八幡浦』と称した。 今日は八幡堀といわれているが、八幡の城下町と琵琶湖を結ぶ一大運河であり大津・堅田とならんで琵琶湖の三大港の一つにかぞえられていた。 湖上を往来する北陸と関西の物資を満載したすべての船はこの八幡浦に寄港し大いに賑わい、今も残る堀沿いの土蔵・倉庫群は往時の繁栄を物語っており、その重要性は近江商人の活躍を絶対的なものにしたのである。この堀割こそが、近江商人の代表八幡商人を生み出した源流である。
八幡掘 大杉町 近江八幡市