八幡掘 新町1丁目 近江八幡市
天正13年(1585)豊臣秀次がこの町を開き翌14年八幡山下町掟を公布し、その条項の中に琵琶湖を往還するすべての船は、この八幡堀を利用して八幡の町へ立ち寄ることを定めて町の発展策とした。この運河によって北陸、京阪神の物資だけでなく政治、文化等あらゆるものが町の中に運び込まれ、湖東地方の中心地として栄えたのもこの八幡掘りが大きな役割を演じて来たのであり正に歴史の流れを作って来た掘割である。