アメリカ人・ウィリアム・メレル・ヴォーリズは、1905年にキリスト教の伝道を目的に、現在の八幡商業高校に英語の教師として来日しました。その後は、建築家として「建築物の品格は人間の人格と同じくその外装よりむしろ内容にある」との考えをもとに建築活動を展開。この住宅街はヴォーリズが大正期に手がけた初期の作品で、アメリカ開拓時代を象徴するコロニアルスタイルと呼ばれる建物です。以後、山の上ホテル、大丸心斎橋店・関西学院大学、等々、全国に約1600に及ぶ建築を手がけました。そんな彼を内村鑑三は「ヴォーリズ君は世に稀に見る建築術の天才であり、また深く正しく日本を解し、これを愛する米国人の一人であります」と評価しています。
 ヴォーリズは、建築のほかにも、メンソレータム(現:メンターム)を日本に輸入したことでも知られ、伝道、医療、学校教育、出版、社会教育、商業、等々、多方面に渡り活躍した人物で、名誉市民第一号に選ばれています。
池田町洋風住宅街(ヴォーリズ建築群) 池田町 近江八幡市