土山宿は、東海道の起点である江戸日本橋より、106里32町、終点京都三条大橋まで15里17町余の位置にある。 土山宿本陣は、寛永11年(1634)、三代将軍徳川家光が上洛の際設けられた。土山氏文書の、「本陣職之事」によってわかるように、甲賀武士土山鹿之助の末裔土山喜左衛門を初代として之を勤めた。 本陣は当時の大名、旗本、公家、勅使等が宿泊したものて、屋内には現在でも当時使用されていたものが数多く保存されており、宿帳から多くの諸大名が宿泊したことを知ることかできる。  明治時代になると、皇室の東京・京都間の往来も頻繁となり、土山宿にご宿泊されることもしばしばであった。なかても明治元年九月、天皇行幸の際には、この本陣で誕生日を迎えられて、第一回天長節が行われ、土山の住民に対し、神酒・鯣が下賜され、今なお土山の誇りとして語りつがれている。 本陣は、明治維新で大名の保護を失い、明治3年(1870)宿駅制度の廃止に伴いなくなった。    平成3年3月25日    土山町教育委員会
 土山宿本陣跡 土山町 甲賀市 旧東海道