岡本宿本陣・高札場跡付近 蒲生岡本町 東近江市 旧御代参街道
御代参街道という名称の起こりは江戸時代中ごろより、天皇の代参として公卿が、毎年、正、5,9月に京都から伊勢神宮と多賀大社へ詣でた。それにならって、各宮家や諸国の大名小名、またその家臣たちが参詣のために通ったところから生まれた東海道土山宿から中山道小幡(五個荘町)までの九里(36km)の道のり。岡本宿は、延宝6(1678)年遊行上人が布教のため、この御代参街道を通行したおり、八日市、岡本、鎌掛を継立所としたことから、岡本が宿場としての機能を充実させていった。多くの民衆の宿泊所である旅籠だけでなく、大名の宿泊所であった本陣跡。他に荷物、人馬の継ぎ立てのための問屋場、触書の高札の跡が残る。岡本宿本陣は彦根藩主が度々利用した。天明6(1786)年に岡本宿で大火があり宿場のほとんどを焼失したが、ただちに復興し明治30年代に近江鉄道が整備されるまで、絵図のような旅籠を中心に、にぎわった。  平成17年1月  岡本夢プラン委員会