《南面》右た加 八日市 左 むさ 八まん
《東面)往来安全
《西面》蛇溝邑安全
《北面》弘化二年巳 孟秋 吉祥日 京都施主 御錫司 弥左衛門
 弘化二年(西暦1845年)七月の銘のある道標で、入田屋形の屋根をもち、高さは2.8mあります。施主は京都の弥左衛門(別名奥田仁平)という蛇溝村出身の錫商です。京都で成功し、郷里に道標を寄進したと思われます。道標の上部には火袋かあり、昔は明りが入れられ、日暮れに帰ってきた人々がこの明りを見てほっと安心したそうです。   この道標は、蛇溝から御代参街道へ通じる道(阿賀社道)と、御代参街道から玉緒山の山際を通って蒲生町川合へ通じる道の交差点に位置していましたが、布引住宅団地の開発に際してこの場所に移されました。  八日市市で建立年のわかる最古の道標として享和三年(西暦1803年)銘のものが御代参街道と畑街道の交差点(グリーン近江農協中野支店角)にありました。江戸時代後期は商業経済が発達し、それにつれ信仰に伴う道行も増え、街道の往来が多くなった時代で、庶民の経済力が伸長した時代でもあり、八日市大凧が巨大化するのもこの頃です。以来鉄道が開通する明治31年にかけて、市内の街道の辻々に石製の道標 (方柱・自然石)が建てられ、御代参街道沿いにも多く建てられました。
   八日市市教育委員会
道標 蛇溝町 東近江市 旧御代参街道