佐屋代官所跡 佐屋町宅地  愛西市 愛知県
わが佐屋は其の昔慶長20年4月家康が大坂夏の陣に此処から船出し大勝した徳川方吉祥の地。藩祖義直もこの事を嘉し寛永11年佐屋街道佐屋宿佐屋湊佐屋御殿を設け、更に承応2年船番所を置くに及んで佐屋は天下に知られるに至った。其のため元禄8年奉行所が、次で天明元年所付代官制実施の時にも最初の代官所となり、海東海西郡中の109ヶ村七万四千石余の主邑として民政と治安の大任を司どりつつ、明治廃駅迄寛永文久と二度の将軍の上洛と明治帝の東幸還幸再幸の三度の大任をも果たした。 其後駅路の変革と母なる佐屋川を失った佐屋には盛時を語る物も其れを知る人もない。 われわれは今その代官所址に在りし日の栄光を偲びつつ其の事を石に刻し、永く後世に伝え語り継ぐことの資とする。昭和60年10月