氷室作太夫家住居 片町2丁目 津島市 愛知県
津島神社は幕末には社家(神職家)は三十家を数えたが、明治維新に於ける制度の改革によって多く離散又は改築し嘉永2年(1849)に建築された当家を除いては、社家の旧態を遺す建物は他に見られない。旧社家は御師として太夫名を称し、地方に信徒(檀那)をもち、信徒が参宮の際は自宅に宿泊させ神楽をも行った。この建物にはその旧態がよく遺されていて、歴史的にも貴重である。 津島市教育委員会