埋田追分 埋田1丁目 津島市 愛知県
埋田町のここは津島神社(天王様)の一の鳥居(昭和三十四年の伊勢湾台風で倒れて台石のみ)と常夜灯一対、追分(別れ道)をあらわす道標がのこっている。 江戸時代ここから右は津島神社への道、左は佐屋の渡しへの佐屋街道と分かれる所で、江戸時代の終わりごろには茶店などもあって通る人々でにぎわい、大正時代ごろまでは松並木が続いていた。また熱田から津島までの道を下街道とよんでいたが、いまは耕地整理や新しい街づくりで道すじもかわり、ほとんどがすたれてしまっている。 佐屋街道は熱田から岩塚、万場(ともに名古屋市)、砂子(大治町)、神守の宿(宿場)を経て、津島追分から佐屋にいたり、佐屋川を船で下って桑名(三重県)へと続き、東海道の脇街道として熱田から桑名までの海上七里の渡し船をきらった人たちに広く利用されていた。徳川三代将軍家光や明治天皇の通られた跡や記録が街道各地にのこされている。
天和2年(1682)道標:右 つしま天王みち 左 さやみち 東 あつた なごや道