日光橋 日光 上山 津島市 愛知県
東海道と佐屋街道
江戸と京都を結ぶ東海道は、熱田宿から船で桑名までの海路を使う七里の渡しが主街道でありましたが、風雨が強く波が荒れた時などは舟を出せない場合があり、大名行列などのように海路が無理な場合もあって、船路の危険や船酔いを避けて陸路を望む旅人が少なくありませんでした。このような事情を背景に、東海道の脇街道として開かれたのが佐屋街道でありました。東海道の七里の渡しに代わる重要な陸路として天下に知られるようになったのは、大阪の陣(1615年)徳川家康公の通行路となってからであり、これが整備され天下の大道となったのは、徳川三代将軍家光公の上洛のときといわれています。  日下英之著 佐屋路 歴史散歩 より抜粋

日光湊は昭和の中ごろまで木材や石炭を積んだ船の出入りが多く佐屋街道筋は賑わっていた。
木製の橋から昭和8年と平成20年に架け替えられた。



右は旧親柱