佐屋街道碑 八幡本通2丁目 中川区 名古屋市 愛知県

佐屋街道は、寛永3年(1626)と11年(1634)の三代将軍徳川家光の通行を契機として整備が進められ、寛文6年(1666)には幕府の道中奉行が管理する官道に指定された。 この街道は、熱田宿と桑名宿を結ぶ七里の渡しの風雨による欠航や、船酔いを嫌う多くの旅人が行き交い、東海道の脇往還として非常に賑わっていた。 商用や寺社参りの人々、参勤交代の大名行列、さらにはオランダ商館のシーボルトや十四代将軍家茂、明治天皇もこの道を通行している。 永年にわたり日本の幹線道路網の一部をになってきたこの街道も、明治5年(1872)の熱田と前ヶ須新田(現:弥富町)を結ぶ新道の開通によりその役割を終え、現在では地域の幹線道路として親しまれている。