大化改新(645)により律令制度が全国に施行された時中央から任地に赴いた国司は管内の官社を巡拝することが一つの義務であった。しかし時代が下って平安中期以降になると祭祀やしきたりが怠りがちとなり管内の神社を便宜的に集めて一社を建てて総社とし管内官社の巡拝にかえるようになった。 今日国府のおかれた町にいずれも総社の跡をみるのはそのためである。長門国府があった長府でも国衙にほど近いこの位置に長門国の総社が建立されており昭和40年代までその一部を見ることができた。 このあたりは現在も惣社町と呼ばれているがそれは総社と同意語であり国府時代に総社があった名残である。  平成7年3月30日  城下町長府まちづくり協議会  長府観光協会

総社跡 長府惣社町 下関市 山口県