「長門鋳銭(じゅぜん)所跡」は、奈良・平安時代に長門鋳銭司(使)が置かれ、銭貨の鋳造を行った官営工房跡です。 江戸時代前期の寛永年間(1624〜1643)には鋳銭遺物の出土が記録されており、現在まで、数度におよぶ発掘や調査が行われ、「和同開珎」銅銭やその鋳型、坩堝、鞴羽口などの銭貨鋳造用具のほか、貨幣鋳造に伴う副産物である銅滓などが多数出土しています。このことから、最も著名な古代流通貨幣である「和同開珎」の鋳造場所であることが明らかであるとして、その一部が「史跡長門鋳銭所跡」として国の史跡指定を受けています。また、長門鋳銭所跡の出土品の内、下関市立長府博物館所蔵品ほか一部の出土品が、「長門国鋳銭遺物」として国の重要文化財に指定されています。 さらに、平成22年5月、史跡長門鋳銭所跡の近接地で、和同開珎をはじめ大量の鋳銭遺物と共に、数百点以上の古代木簡を発見しました。 この内一点には、「天平2年(730)5月4日」の墨書が認められ、「続日本紀」天平2年3月13日条に、長門国での銅銭鋳造目的で、周防国から送られたと記される銅の行き先が、ここ長門鋳銭所跡であり、鋳造された銭貨が和同開珎であることが明らかとなりました。 また、このことから、「長門鋳銭司」の所在と操業時間が改めて明らかとなりました。   下関市教育委員会

長門鋳銭(じゅぜん)所跡(覚苑寺) 長府安養寺 下関市 山口県