一里塚は旅人のために一里ごとに設けられたもので古くからあったらしいが、慶長9年江戸日本橋を基点として全国に整備されたという。毛利藩では萩唐樋札場を基点として主要な往還道に設置されその一つがこの付近にあったことが山口県立文書館所蔵の古地図に明記されてある。 一里塚はその目じるしとして榎が植えられてあったが、榎は大きくなり夏は暑さをしのぎ、秋はその実を食べ飢えをしのぎ、また一里ごとに建てることによって里数をしらせた。往時をしのぶよすがとして、ここに碑を建て榎を植える。昭和56年2月 吉田観光協会

吉田一里塚跡 吉田 下関市 山口県