藩政時代(1600〜1870)萩藩毛利の領地は18の宰判に分かれ、統治されていた。吉田宰判はそのひとつで統治区域は吉田、厚狭、末益、松屋、津布田、字津井、山野井、今浦、尹衛、山中、於福、河原、大嶺、に及んでいた。宰判には一名の代官が任命され、平素は萩本藩に勤務しているが、春、秋、冬の三季には勘定(代官所)に出張して租税の決定、貢米の完納、土木工事の検分などの民生を統括していた。勘定方寺社方、山方など部下の役人の任命民間側からは、大庄屋とその部下の恵米方、算田方など選出し、建物には50人ほどの役人が詰め宰判内の業務をつかさどっていた。御茶屋は勘場に隣接し、公儀の役人や参勤交代途中の大名の休泊所であった。幕末には奇兵隊の屯所としても使われた。 なお敷地内の建物は格の高い接客空間が設けられるなど、一般的な民家と異なる点が見られ、現在では宰判時代の様子が偲ばれる唯一の遺構となっている。

吉田宰判勘場御茶屋跡(御本陣) 吉田 下関市 山口県