花岡勘場・お茶屋跡 山田 下松市 山口県

毛利時代(1610〜1871)この地方の19ヶ村を都濃宰判と称し、萩本藩領で萩から役人(代官)がきて治めていた。その役所を勘場といい、花岡は当時この地方の政治文化の中心であった。また、交通の要衝であったので、お茶屋(藩が建てた宿舎)もそばに建てられ藩主や九州諸侯の参勤交代、幕吏などが常に宿泊していた。