周防源氏武田氏屋敷跡及び墓所 欽明路 玖珂町 岩国市 山口県
戦国時代の天文9年(1540)11月、安芸源氏の武田小三郎公は、毛利元就公の援助により欽明路に移り、周防源氏の祖となり、刑部少輔と称しました。 その後、織田・豊臣時代を経て、徳川時代に至り、代々功職をあげましたが、文政元年(1818)12世武田宗左衛門公(号笑山)は、文武両道の稽古屋敷をこの地に設けました。この稽古屋敷は、明治時代の中野口小学校の前身になりました。その後も、武田氏は郷土の育英事業に尽力し、明治・大正時代に、玖珂実業補修女学校、大正学校の設置、16世武田甲斐人氏(1894〜1976)は、玖珂町英正学校理事として中等教育の向上に努めました。大正6年(1917)、武田氏は広島県呉市に移転して、大正中学を設置し、その後も呉港学園として、現在に至っています。 武田家屋敷内には、武田氏歴代の墓をはじめ、井戸、稽古屋敷跡の碑があり、屋敷跡の前面には、門と白壁の築地があります。裏山には、安芸から移された古い墓があり、墓地になっています。平成元年3月 岩国市教育委員会(平成16年3月修復改定)