桜尾城址(桂公園) 桜尾本町 廿日市市 広島県
当城の地は鎌倉より厳島社家たりし藤原氏の拠る所にして、厳島神領の中心なり、城は直ちに海に望みて内湾を振りし、東に岩戸尾西に藤掛尾など七尾の諸城を従え、誠に要害の地なり、下りて、戦国の世、神領は東に武田、西に大内の狭間にあり、天文10年藤原興友、戦に敗れ、城に火をかけ、三百年の神主家ここに滅ぶ、のち大内、陶、毛利と相ついで城番を置くも、毛利の移封と共に廃城と化す、この間、折敷畑、厳島の合戦には毛利氏の拠点として世に知られしも、時移り山容改まり、往年の城姿を失う。   廿日市町教育委員会