五日市町指定重要文化財 江戸時代になって、仝国的に道路交通体系が整備された。江戸を中心とした東海道などの五街道に準じて重要視されたのは、大阪から長崎に至る山陽道(西国路)であった。山陽道は、道幅2間半(約4.5m)、沿道に並木松、一里(約4km)ごとに一里塚、要所に茶屋を3軒設けている。 村伝いの道が3尺(約0.9m)の時代なので、2間半の道幅をもつ山陽道が、いかに大動脈の役割を果たしていたかうかがえる。 現在、並木松はこの地に5本残っており、次のとおりである。 *一号松 (伊田氏宅前)樹高8m 幹周3.15m *二号松 (今中氏宅前)樹高7.5m 幹周1.5m *三号松 (荒谷氏宅前)樹高8m 幹周2m *四号松 (島田氏宅前)樹高8m 幹周2m *五号松 (木田商店前)樹高14m 幹周2.5m 昭和56年11月 五日市町教育委員会 |