千葉家住宅 中店 海田町 安芸郡 広島県
千葉家の先祖は、上総介平忠常で下野国真壁(栃木県)に住んでいたが、後に信州国伊奈(長野県)に移り神保と号したと伝える。永正(1504〜)のころ、信胤は安芸国(賀茂郡西条付近)に移り来たり大内氏に属していたが、その後毛利氏に属し、小早川隆景の配下で活躍している。 近世初頭になって、海田に来住し江戸時代を通じて、天下送り・宿送り役をはじめ年寄、組頭などの役職を勤めている。天下送リとは、幕府の公用文書や荷物などを継送する役のことである。そのほか、街道を往来する諸大名などが宿泊することもあった。屋敷は、数少ない江戸時代中・後期の建築様式を今に伝え、玄関は入母屋造り、座敷は数奇屋風書院造りで、寛政元年(1789)の建物略図も残っている。 主屋は表構・勝手構・座敷構に分かれ、座敷構から泉庭沿いに渡り廊下で連絡して浴室・雪隠などがある。 昭和63年11月1日  海田町教育委員会