恵比須神社 中店 海田町 安芸郡 広島県
日本の街道が整備されたのは、駅制と同様に大化の改新(645年)の時である。そのとき太宰府までの山陽道を大路(おおじ)、東海道、東山道を中路(ちゅうじ)、それ以外を小路(しようじ)と定めた。当時海田は包浦と称し、後に開田と呼ぱれるようになる。安元2年(1176)開田荘として文献に登場する。瀬野川の渓□集落であった開田は、更に海に面して土地が開かれ海田と呼ばれるようになった。海田は古くから交通の要地であり、西条四日市と廿日市と並んで「市」が開かれ、海田市と呼ばれ、今日の安芸郡の政治経済の中心地として発展した。この市と海に面しているところから恵比須信仰が生じてきた。恵比須は夷と書き、古くは異民族の通称であり、異郷からの来臨にyとるい幸い、つまり日本の場合は四辺が海であるから、海からの出現ないしは漂着した神という信仰が強い。したがって、漁村では漂流物を神体にしている場合もある。時代とともに生業を守り財福をもたらす神として中世以降、七福神の一つに数えられ、大黒とともに招福神の代表となり、農民や商人の信仰を集めていった。以下略