旧山陽道 苦の坂入口 小方町小方 大竹市 広島県
苦の坂の峠
市域を通過していた西国街道は、玖波・黒川・小方・木野の各村にわたり、全長74町3間(約8.1km)でした。現在、この区間で鳴川の石畳とともに往時の面影を残しているのが「苦の坂」です。御園側が5町4間(553m)、木野側が4町9間(453m)のこの坂は『小方村「国郡誌」』にも険しさの記述があります。また広島から小瀬川に至るこの街道で、井口の小己斐山、宮内・大野境の鑓出し四郎峠、大野の四十八坂、玖波の馬ためし峠と合わせ「山坂五ケ所」の一つに数えられています。安政の大獄で囚われの身となった古田松陰は、安政6年(1859)5月、この峠を越えて江戸へ送られました。 また、この苦の坂には「市杵嶋姫命伝説」が今に残っています。
「厳島神社の祭神である市杵嶋姫命が筑紫から安芸へ移るとき、この苦の坂にさしかかりました。幼子を背に負っていたので息もきれぎれとなり、ここまで大切に持っていた「ちきり」(機織りの縦糸を巻く道具)を坂の上から麓の池に投げ捨て、身を軽くして苦の坂を越えて行きました。」
後に、その池を埋めて社殿を建てたといわれているのが「ちきり池神社」です。大竹市は、数々の歴史絵巻を思い起こさせてくれる「苦の坂」を含め、亀居城跡から木野川渡し場跡までの西国街道を『歴史の散歩道』に設定しています。  大竹市教育委員会