八丁馬場跡・京口御門跡 八丁掘 中区 広島市 広島県
 毛利輝元は、天正19年(1591)広島城を築城した時南側の外堀と中掘との間を東西に走る大路をつくり、それを浅野藩時代には八丁馬場とよんだ。その道路の東端にある門は、広島城から京都へ向かう最初の出入り口にあたるので京口御門とよばれた。