平清盛像 宮島町 廿日市市 広島県
平清盛(1118年〜1181年)
平安時代末期の武将。保元の乱・平治の乱を経て武士の第一人者となり`1167年には太政大臣に昇りつめた。1179年後白河法皇を幽閉し、翌年には娘徳子が産んだ安徳天皇を擁立して平氏政権を樹立したが、貴族や寺社などの反発を招き、源頼朝をはじめとする諸国の反平氏勢力の蜂起が広がる中、1181年熱病に倒れ、64歳でその生涯を閉じた。  清盛がいつどのようにして厳島神社を信仰するようになったかは明らかではないが、1146年と1153年に安芸守に任じられ、1160年には厳島神社に参詣している。 以後、清盛の厳島参詣は記録に明らかなものだけでも十度に及び、1168年には清盛によって現在のような厳島神社の社殿が造営された。1164年清盛と平氏一門は法華経などを書写して厳島神社に奉納した。いわゆる「平家納経」(国宝)である。清盛は「舞楽」を厳島にもたらし、当時都で盛んに行われていた管絃を奏する遊楽も移したと言われている。これが、現在は厳島神社の神事として行われている「管絃祭」(|日暦6月17日夜)の始まりである。