茶屋本陣跡 西条本町 東広島市 広島県
旧山陽道「西条四日市」宿本陣(御茶屋)跡
江戸時代ここ西条は「西条四日市」と称し旧山陽道最大の宿場として栄え有名でありました。全国の宿場には大名のとまる宿がその土地の名家で営まれ「本陣」と称せられていましたが、西条四日市宿場だけは重要な大宿駅でありましたので、藩(浅野藩)が直営でこれをつくられ「御茶屋」と称せられていました。この場所はその「御茶屋」のあった所であります。御茶屋の規模は古文書によれば
1.土地の広さ 1488坪(約4910u)
2.部屋数 29  3. 畳の数 214畳半  でございます。
建物は明治維新後に取り壊されましたが御門と称せられていた正門は賀茂鶴の当主の木村和平翁が、土地とともに払い下げを受けたので今日まで保存してきましたが、貴重な文化財でありますので此のたび建築史学の大家であらせられる広島大学名誉教授の佐藤重夫先生の考証と御指導を仰いで復元したものであります。なお、この地は安芸国分寺(ここより東北薬500mに現存)が建てられた頃(西暦741年)安芸の国の政治の中心
「国府」があったと伝えられています。  昭和61年6月吉日  賀茂鶴酒造株式会社
江戸時代、大名や幕府の要人が宿泊した本陣(御茶屋)。当時広島藩内に9ヶ所あった本陣の中では最大。明治時代に取り壊され、今は、本陣御門が復元されている。石垣は古い乱積みと現代の谷積みが並ぶ。   『酒蔵通り』パンフレットより