矢掛宿碑 矢掛 矢掛町 小田郡 岡山県
矢掛が山陽道の宿場としてその名をみせるのは室町時代になってからです。今川貞世が九州探題に任命されて、九州に赴任する際に記した「道ゆきふり」の中に「屋蔭」という里で一夜の宿をとったと記されています。一説によれば、貞世が宿泊した「屋蔭」は江戸時代の矢掛宿とは異なり、茶臼山西麓の古市だったと言われています。その後、江戸時代初期に諸大名の参勤交代が制度化されると、矢掛においても当時の領主によって古市から現在の場所へ人家を移転し、宿場としての整備が行われたと伝えられています。 元禄2(1689)年に作成された「矢掛町地子御免間数幷絵図」(石井家文書)によると、矢掛は山陽道に沿って東西約800mの町並みを形成しており、北側に95軒、南側に102軒の地子(宅地税)を免除された屋敷がありました。屋敷は”うなぎの寝床”と呼ばれる短冊形の地割りで、基本的には大きな変化はなく、今日に至っています。本陣や脇本陣をはじめ江戸時代の旧姿をとどめた町並みは岡山県町並み保存地区に選定されています。 平成16年  やかげ歴史の道復元事業