造山古墳 新庄下 岡山市北区 岡山県
当古墳は墳長約350m、後円部径約200m、高さ約24m、前方部幅約215mを測る前方後円墳で、岡山県下で第1位、全国でも第4位、自由に立ち入りできる古墳としては全国一の規模を誇ります。大正10年(1921)、周辺の中小古墳(第1〜6古墳)とともに国指定史跡となりました。 古墳は、低い丘陵を切断し土盛りや削平などを施して形を整えています。 墳丘は三段構成で、くびれ部両側に台形の造り出しを設けています。また、墳丘表面には葺石がふかれ、各段には円筒埴輪がめぐらされていました。 このほか盾・靭・蓋・家、などの形象埴輪も見つかっています。
 埋葬施設などの詳細は未調査のため不明ですが、墳丘規模・外表施設等の有り様からみて、被葬者は当地域の首長であったと同時に、吉備全域をも統轄していた大首長の地位にあったと考えられます。 また、造山古墳に次ぐ作山古墳(総社布)、両宮山古墳(山陽町)などの巨大古墳の存在は、吉備が畿内の勢力と肩を並べるほとに強大であったことをうかがわせます。なお前方部に置かれている刳りぬき式の舟形石棺は阿蘇溶結凝灰岩製で蓋には直孤紋が刻まれているなど九州地域の石棺の特徴を特っています。 近くの新庄車塚古墳から運ばれたものとも、当古墳の前方部から出土したとも伝えられています。 平成15年3月31日  岡山市教育委員会