一本松一里塚 一里塚は街道の両側に1里(約4km)ごとに設けられた塚。多くはその上に榎を植えて旅人の目じるしにしたもの。戦国末期にはすでに存在したが、1604年(慶長9年)、江戸日本橋を起点として東海・東山・北陸の三道に整備し、旅人に多くの便宜を与えたが、明治以後、交通機関の発達・道路の拡張などにより大部分は取り除かれた。 ここ一本松一里塚は、ここより東50mの付近にあったと思われ、今でも塚跡という番地が残っている。 平成3年10月吉日 NPO法人片上まちづくリ 備前市教育委員会 建設省岡山国道工事事務所 |